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我が家に10人が泊まった日。
2012.01.10.Tue.10:10
甥っ子の はークン

姪っ子の ななちゃん

我が家に おちびチャンが泊まるコトがあるなら、 どんな悪さをしてくれるのか ??
リサ・ラーソンのライオンは 振り回されるのか? なんて思っていたけど・・・
何も悪いことはしない、激しく走り回らない、連れ回すのは我が家に少しだけある ぬいぐるみくらい・・
とっても お利口サンです。
父母が 大分から新幹線でやって来て、我が家に連泊した。
そして、その後を追うように meeの妹&姉家族5人が ファミリーcarをフェリーに積んでやって来た。
mee夫妻を含め、計10人が1泊を我が家で過ごした 。

足りない布団は 慌てて母親が買い揃え、姉が車に毛布を積んで来てくれた
あとは、夏布団やマットをかき集め、 和室とリビングで8人で寝てもらった 。
この日の晩の暖の手段は、暖房・床暖・湯たんぽ・あとは、密度のための熱気・・
男性軍は、お風呂を家のすぐ近くにある 天然温泉の沸く スーパー銭湯で済ませてもらった 。
翌日にみんなに聞いたら、 ぐっすり眠れたとのコト。
こんな人数が 川の字になって寝れるのは mee3姉妹が仲良く、家族が仲良しだからこそだと思う
母親と 愛犬

母方の祖母のお葬式に 今回、急遽 meeの大分の家族が総出で我が家を利用しました 。
祖母は和歌山の人。 meeの母親は 父親と結婚するまでは、和歌山で生まれ育った人 。
お正月の急な祖母の危篤の知らせで 父母が慌てて和歌山に向かい、 一命をとりとめ少し安心し、
いったん大分の自宅に戻ろうと、帰宅の途中で 祖母の容体が急変し、そのまま帰らぬ人となった。
私と姉妹は、祖母の悲しみはもちろん、 父母の顔を見ていると 体調が心配でたまらなかった。

私はおばあちゃんの 思い出の物を一つ、大切にしようと持って帰った。
私は大阪に住んでいるし、 大分の家族よりも おばあちゃんに近いから、
これからは そのぶんも、沢山 おばあちゃんのお墓参りをしたいと思う 。
姉から帰宅後に メールがあった。
『 ずっと行きたかったmeeの家に行けて 嬉しかった反面、今回は悲しかった。
でも、 また今日からは 気を確かに 育児と生活に がんばるね 』 っと言ってた。
ホントよね! だから私もちゃんと過ごそうと思った。
自分も、家族も、心の中ではこれからもずっと 祖母は生き続けるんだと思う。

慌てて連泊した両親も、meeの兄弟家族も、 全員で8人
フェリーに乗って、大分に帰って行きました。
根が明るい元気なおばあちゃんは、思い出すエピソードも 笑い転げるくらいのコトばかり・・・
がははは!! っと大きな口を開けて 豪快に笑う顔ばかり思い出す。
とにかく大分が大好きで、私たちと祖母は、大分と和歌山を 行ったり来たりしていました。

姪っ子の ななちゃん

我が家に おちびチャンが泊まるコトがあるなら、 どんな悪さをしてくれるのか ??
リサ・ラーソンのライオンは 振り回されるのか? なんて思っていたけど・・・
何も悪いことはしない、激しく走り回らない、連れ回すのは我が家に少しだけある ぬいぐるみくらい・・
とっても お利口サンです。
父母が 大分から新幹線でやって来て、我が家に連泊した。
そして、その後を追うように meeの妹&姉家族5人が ファミリーcarをフェリーに積んでやって来た。
mee夫妻を含め、計10人が1泊を我が家で過ごした 。

足りない布団は 慌てて母親が買い揃え、姉が車に毛布を積んで来てくれた
あとは、夏布団やマットをかき集め、 和室とリビングで8人で寝てもらった 。
この日の晩の暖の手段は、暖房・床暖・湯たんぽ・あとは、密度のための熱気・・
男性軍は、お風呂を家のすぐ近くにある 天然温泉の沸く スーパー銭湯で済ませてもらった 。
翌日にみんなに聞いたら、 ぐっすり眠れたとのコト。
こんな人数が 川の字になって寝れるのは mee3姉妹が仲良く、家族が仲良しだからこそだと思う
母親と 愛犬

母方の祖母のお葬式に 今回、急遽 meeの大分の家族が総出で我が家を利用しました 。
祖母は和歌山の人。 meeの母親は 父親と結婚するまでは、和歌山で生まれ育った人 。
お正月の急な祖母の危篤の知らせで 父母が慌てて和歌山に向かい、 一命をとりとめ少し安心し、
いったん大分の自宅に戻ろうと、帰宅の途中で 祖母の容体が急変し、そのまま帰らぬ人となった。
私と姉妹は、祖母の悲しみはもちろん、 父母の顔を見ていると 体調が心配でたまらなかった。

私はおばあちゃんの 思い出の物を一つ、大切にしようと持って帰った。
私は大阪に住んでいるし、 大分の家族よりも おばあちゃんに近いから、
これからは そのぶんも、沢山 おばあちゃんのお墓参りをしたいと思う 。
姉から帰宅後に メールがあった。
『 ずっと行きたかったmeeの家に行けて 嬉しかった反面、今回は悲しかった。
でも、 また今日からは 気を確かに 育児と生活に がんばるね 』 っと言ってた。
ホントよね! だから私もちゃんと過ごそうと思った。
自分も、家族も、心の中ではこれからもずっと 祖母は生き続けるんだと思う。

慌てて連泊した両親も、meeの兄弟家族も、 全員で8人
フェリーに乗って、大分に帰って行きました。
根が明るい元気なおばあちゃんは、思い出すエピソードも 笑い転げるくらいのコトばかり・・・
がははは!! っと大きな口を開けて 豪快に笑う顔ばかり思い出す。
とにかく大分が大好きで、私たちと祖母は、大分と和歌山を 行ったり来たりしていました。
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